KATZのFLEURCAFE

KATZのフルールカフェへようこそ!!フルールカフェではKATZが収集した本・CD・DVDなどを中心に気ままに展示し,皆さまのお越しをお待ちしております。ご自由にお愉しみくださいませ。よろしくお願い申し上げます。ほぼ毎日更新中でございます。

カテゴリ: 澁澤龍彦

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   真赤なケシが笑ってる


  けしを見て外出ごころをしづめけり

 江戸中期の俳人大島完来の句だが、ほほえましい味があっていい。

 ケシは散るのが早くて有名だから、せめて花のひらいている今日いっぱい

 は遊びにゆきたい気持ちをおさえて、家で眺めていてよろうという含みもあ

 るかもしれない。


   澁澤龍彦「フローラ逍遥」P168・9 平凡社ライブラリー刊

 

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  心あてに折らばや折らむ

 なにしろ私は戦中世代なので、少年時の思い出のなかの菊の花といえば、

 すぐに目に浮かぶのが十一月三日、明治節の式典である。

 小学校でも中学校でも、その日は式場に懸崖づくりの菊の花がたわわに

 飾られていたようにおぼえている。

 すでに朝などは冷え冷えする季節で、小学校の校庭に整列してたっていると、

 半ズボンからむき出しになった太股が肌寒かった。

  
   秋の空澄み 菊の香たかき

   今日の佳き日を みな寿ぎて


 「アジアの東 日出づるところ」ではじまる明治節の歌を記憶しているひとも、

 いまではすっかり少数派になってしまったのではないだろうか。


  澁澤龍彦「フローラ逍遥」P199・200 1996年平凡社ライブラリー刊

 

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       大正文化を思わせる花

 どういうものか今日ではコスモスをあまり見かけなくなっている。

 それだけにセピア色の写真のように、いよいよノスタルジックな情緒を誘い出

 す花になっているともいえよう。

 しかし、まだ私なんぞが少年のころには、あの赤とんぼとともに、コスモスは初

 秋のさびしさを感じさせるもっとも代表的な景物であった。


 二百十日の台風がすぎて、からりと晴れた秋の一日、前夜の雨にしっとり濡れた

 コスモスが、地に倒れながらも可憐に花を咲かせている情景。

 そんな情景が私の目に浮かぶ。

 いつの秋だったか。さあ、それはおぼえていない。

 それでも、そんな情景を何度も見たような気がする。

 弱々しいけれども芯は強いので、地に倒れても平気で頭をもたげた花をつける。

 それがコスモスの特徴だ。


  澁澤龍彦「フローラ逍遥」P181  1996年平凡社ライブラリー刊
 

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   季節は秋だった

 ローマの 詩人ホラティウス「諷刺詩集」第一巻第三章に、音楽家ティゲリウス

 はまぐれな男で、気がむけば饗宴の席で「卵から林檎まで」大声あげて歌を

 歌いまくるとある。

 ラテン語で書けばab ovousque ad mala である。

 前菜のは卵、デザートには林檎が欠くべからざるものだったので、「卵から林

 檎まで」は「初めから終わりまで」の意味で広く用いられていたらしい。

 林檎はラテン語でマルムといった。


  澁澤龍彦「フローラ逍遥」 P192・193 平凡社ライブラリー刊

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  ミニアチュール的想像力

 ところで、デジタル時計しか見たことのない今日の子どもは、トケイソウの花を

 眺めても、その名の由来が分からないのではないだろうか。


 そもそも見立てというのはアナログ的な精神のはたらきだから、デジタル精神

 だけでは何を見ても、それに類する具体的なイメージは湧かないにちがいない。

 デジタル時計にはさわしいトケイソウのイメージとは、どんなものだろうか。

 SF的な世界に近くなるが、そんなことを考えてみるのも一興であろう。


  澁澤龍彦「フローラ逍遥」P137 平凡社ライブラリー刊

  

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   葡萄畑と葡萄棚

 元来、葡萄は原産地である西アジアから中国を経由して日本に

 伝えられたものだから、すくなくとも古代においては非常にエキゾ

 チック な植物だったはずだ。

 実物が伝えられるよりも前に、まずデザインとしての葡萄が伝えら

 れたに ちがいない。

 正倉院の御物や海獣葡萄鏡の唐草文を見れば、このことは明らか

 であろう。


  澁澤龍彦「フローラ逍遥」 P120 1996年平凡社ライブラリー刊

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   合歓[ねむ] Albizzia

   雨に西施がねむの花 


  三好達治の詩に、


  ねむの花さくほそ路を

  かよふ朝こそたのしけれ

  そらだのめなる人の世を

  たのめて老いし身なれども


  というのがあるけれども、毎朝、二階のベランダの鎧戸
  をあけて、すずしい初の微風にゆれているネムの花
  と間近に対面するのは、なにがなし心たのしいものである。


   「フローラ逍遥」P160・161   1996年平凡社ライブラリー刊

 

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  オルタンスという女

 さて私のことを書くとすれば、私自身はもう二十年来、あじさい寺
 として近年とみに名の高い明月院のある、北鎌倉の名月谷という
 谷に住みついているので、いわばアジサイの本場に住んでいるよ
 うなものだ。山かげで湿気が多いから、ここはアジサイの生育には
 もっとも好適な土地であるらしく、げんに私の家の庭でも、挿木をす
 ればどんどんふえる。
 斜面になった岩盤の上の土地で、かならずしも地味がいいとはいえ
 ないのにアジサイだけは勢いさかんに育つのだから不思議である。


  「フローラ逍遥」P144 1996年平凡社ライブラリー刊   

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   三輪山のアリアドネー

 ガンの聖堂の祭壇画として名高いファン・アイクの「神秘の子羊」上段
 中央部および下段中央部にも、ウフィツィ美術館にあるファン・デル・グ
 ース の「ポルティナリ祭壇画」中央部にも、ボッシュの「悦楽の園」中央
 ぱねるにも、それぞれオダマキの花が出てくる。画集で探し出すのは
 むずかしいが、グースの祭壇画の中央部「牧者の礼拝」の前景に、石
 竹の花といっしょに花瓶に生けられた紫色のオダマキをはっきり確認
 することができるのは嬉しい。


   「フローラ逍遥」P101-104    1996年平凡社ライブラリー刊

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   黄金の鳥   イェイツ|「ビザンティウムへの船出」

 ひとたび自然から離れたら もう二度と私の肉体は

 いかなる自然物から形を借りることもあるまい

 私の望む形はただ ギリシアの黄金細工師が

 金を延べ金を被せて造ったような肉体だ

 皇帝の眠たげな目をさましておくために

 またビザンティウムの貴族や貴婦人たちに

 過去現在未来の何たるかを歌って聞かせるために

 黄金の枝の上に据えておく黄金の鳥のような肉体だ


  「オブジェを求めて」P28  1985年河出書房新社刊 

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  金色のファロス   エズラ・パウンド|「ヴィーナスの宵祭」

 クロッカスの黄金のファロスが一斉に春の大気を突きあげている
 ここには死んだ神々はいない
 祭りの行列があるばかりだ
 おお ジュリオ・ロマーノよ
 おまえの魂が住むにふさわしい行列だ
 ディオーネよ、あなたの夜が訪れた

 露は葉にやどって
 あたりの夜はざわめいている


  「オブジェを求めて」P52  1985年河出書房新社刊 

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   花妖のエロティシズム

   牡丹切て気のおとろひし夕かな

  この蕪村の句にはべつにエロティックな意味はないだろうが、「聊斎志異」
  に出てくる花妖の物語なんぞを読むと、なにか官能的なニュアンスをそこ
  に付会したくなってくる。そんなあやしい感じの句だ。そういえば、これも名
  高い蕪村の句、

   ちりて後おもかげにたつぼたん哉

  これは花の幽霊となって詩人の前にあらわれた花妖そっくりではないだろう
  か。唐突だが、私はこの句を思うたびに、現代フランスの詩人シュペルヴィ
  エルの次の詩をつい連想してしまう。

   昼も小暗い森の奥の
   大木を伐り倒す。
   横たわる幹のかたわら
   垂直な空虚が
   円柱のかたちに残り
   わなないて立つ。

  すでに花そのもの、樹そのものは存在していないのに、その視覚的イメージ
  だけが幽霊のような存在感とともに、そこに執拗に残存していた。網膜に焼
  き付いている。さすがにシュペルヴィエルは南米の大森林を知っているだけ
  に、その詩的イメージの規模も桁ちがいに大きいが、この「わなないて立つ
  円柱のかたち」と蕪村の「おもがけにたつぼたん」とは、本質的に同じ一種の
  残像のようなものではないだろうか。

   「フローラ逍遥」P85-89 1996年平凡社ライブラリー刊 

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    アイリス

   いずれアヤメかカキツバタ

 私は自分が五月生まれのせいか、風薫る五月の季節が大好きである。
 
  ほととぎす鳴くやさ月のあやめぐさ あやめもしらぬ恋もするかな


 毎年、五月の二十日すぎになると、私の住んでいる北鎌倉でも、決まっ
 てホトトギスの声を耳にする。明け方ばかりでなく、どうかすると雨もよい
 の日なんか、あさから一日中、しきりに鳴くことがある。

 厳密にいえば、上代の日本人がアヤメと呼んだのは、今日のショウブの
 ことで、アヤメ科のアヤメのことではないらしいが、ともかく,こんなすばら
 しい歌に詠まれているのだから、アヤメを代表とする日本のアイリスの一
 種 はしあわせだとつくづく思う。

 もう一つ、どうしても私がここに書いておきたい詩の一節がある。昭和十一
 年からはじまったラジオの国民歌謡で、少年の日の私がしばしば耳にした、
 なつかしい木下杢太郎の「むかしの仲間」の一節である。これも五月である。


   春になれば、草の雨、三月桜、四月すかんぽの花のくれなゐ、また五月
 には杜若、花とりどり、人ちりじりののながめ。


   「フローラ逍遥」P76・77  1996年平凡社ライブラリー刊

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       金雀児 [えにしだ] Cytisus

     野原を埋める黄金色 

 それほど何度もヨーロッパへ行ったわけではないけれども、行くたびに
 関心させられのは、初夏のころのフランスやイタリアの野原の美しさだ。

 エニシダの黄金色が野原をいちめんに埋めつくして、波のように揺れて
 いる。レンギョウの黄よりもさらに明るく、濃密な感じのする黄金色である。

 なるほど、これでは伝説が語っているように、アンジュー伯ジョフロワが
 エニシダの咲きみだれた野原を進軍しているとき、その花の一房を手折
 って兜に挿したくなったというのも無理はないな、という気がしてくる。


  「フローラ逍遥」P52    平凡社ライブラリー刊


  澁澤龍彦(1928年5月8日ー1987年8月5日)
 
  

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    ライラック

   群がる星のように 

  たとえばオスカー・ワイルドの「ドリアン・グレイの画像」 の冒頭にも、
  次のような美しい描写がある。

  「風が樹々から花びらを吹きちらし、群がる星のように咲きみだれた
  重たげな ライラックの花が、けだるい空気の中でゆらゆらと動いてい
  た。きりぎりすが一匹塀ののそばで鳴きはじめ、青い一筋の糸のよう
  に細長いとんぼが、茶褐色の薄紗のような羽をひろげて飛んでいった。」

  この場面のロンドンは、春というよりはすでに初夏であろう。「群がる星
  のように」とは、それにしても美しい表現だ。


    「フローラ逍遥」P72・73   1996年平凡社ライブラリー刊

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   シャンデリア   ボードレール|「赤裸の心」

 演劇に関するぼくの意見。

 子どものときから、そして今でも、ぼくがいつも劇場でいちばん美しいと

 思うもの、それはシャンデリアだ。

 ー かがやかしく、透明で、複雑で、円を描き、しかも左右対照的な、美

 しい物体。


   「オブジェを求めて」P188   1985年河出書房新社刊
 
 

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      螺旋     フローベール|「狂人の手記」

   おお、無限なるものよ!無限なるものよ!広大な深淵、奈落から未知なる

   最高の天界にまでおよぶ螺旋よ、われわれすべてがその中で、めくるめき

   ながら旋回している古来の観念よ。


    「オブジェを求めて」P100   河出書房新社刊

    

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      翼を買う    ジョセフ・グランドヴィル|「独断の空しさ」

   後世のひとびとにとって、遠隔の地へ飛んでゆくために一対の翼を買うことは、

   今日のひとびとが馬で旅するために、一足の長靴を買うことと同じほどに普通

   のこととなろう。


      「オブジェを求めて」P166   1985年河出書房新社刊
 

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            幻妖なるフローラ

   私の家にも、毎年いっぱいに花をつける桜の老木がある。ただし、これは八重

 咲きの俗称ボタンザクラという品種で、花期がきわめて遅く、四月の終わりからゴー

 ルデンウイークにかけてようやく満開になる。紅色が濃く、花が厚ぼったくてぼってり

 しているため、満開になると鬱陶しいくらいに妖艶なふぜいを見せる。ソメイヨシノの

 清楚な感じからはずいぶん遠いが、この満開の老木の下で酒をのんでいると、盃の

 なかにふわりと花びらの一片が落ちてきたりして、ちょっといい気分になる。友だちを

 あつめてお花見をしたことも一再ならずで、文字通り姥桜だけれども、私にとっては

 思い出の多い愛すべきフローラとなっている。


   「フローラ逍遥」」P65    1996年平凡社ライブラリー刊 

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    奇妙な多面体   ポール・ヴァレリー|「未完の物語」

   クシフォスの或る広場には、磨きあげた瑪瑙の板があって、賢者というより学者

 といったほうがいいような人物が番をしていたが、その板の上では、けっして平衡状

 態を見出だせぬようなかたちに刻まれた奇妙な多面体が、一つの面から他の面へと、

 たえずころがりつづけていた。


     「オブジェを求めて」P128   1985年河出書房新社刊 

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        葉巻      ジャン・コクトー|「大胯びらき」

    エジプトの女王さま! 豪華な色どりの箱のなかで、金の帯をしめている葉巻は、

  まるであなたの小さなミイラのようです!


   「オブジェを求めて」P222        1985年河出書房新社刊 

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    紅雀とダイヤモンド    アンドレ・ブルトン|「白髪の拳銃」 

  あらゆる紅雀が水浴するのに必要な数だけのダイヤモンドに分割しうる一個の

  ダイヤモンド

    「オブジェを求めて」p182   1985年河出書房新社刊

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    マニエリスムの時代

   多くの本に紹介されて、あまりにも有名になってしまったエピソードだが、初めて
 チューリップをヨーロッパに伝えたのは、神聖ローマ帝国のフェルディナンド一世の
 使者としてトルコに派遣されたブスブックであり、また、このトルコ産のチューリップ
 を初めてウイーンからオランダへ送ったのは、ライデン大学教授として同地に赴任
 したクルシウスであった。

    ところで、ここまではどの本にも書いてあるのだが、次のことはあまり知られて
 いないようである。すなわち、このブスブックもクルシウスも、きわめてハプスブルク
 家に縁の深い学者であり、十六世紀のヨーロッパの知的中心地であったプラハや
 ウイーンの宮廷に出入りして、マニエリスムの皇帝として知られるルドルフ二世と
 親しく交わっていた、ということだ。 

    天文学者や錬金術師や芸術家を身辺にあつめ、プラハの宮廷をマニエリスム
 の中心地たらしめたルドルフ二世の文化史的な役割については、最近のルネサンス
 精神史の研究によってクローズアップされてきたところだが、さらに博物誌の領域に
 おいても、この皇帝の果した役割は無視できないだろう。チューリップも、いわばこの
 知的潮流に棹さして、レヴェント地方からヨーロッパへ流れついたのである。

      
       紅いお帽子 青い服、

       チューリップ兵隊 きれいだな。

       土に もえ出た ニ中隊
 
       チューリップ兵隊 かわいいな。

     昭和二年の「コドモノクニ」という児童雑誌に載った、北原白秋作詞の童話である。
  挿絵は武井武雄。わたしはこの童話が大好きで、いまでも口ずさむことがある。そして、
  それも一種のマニエリスムではないかと思っている。

     「フローラ逍遥」p44-49   1996年平凡社ライブラリー

    
    
 

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   パラドックスの鏡  ムヒーユ=ウッディーン・イブン・アラビー|「予言者の叡智」

  自然の世界は、ただ一つの鏡に反映する多くの形象から成っている。というより

 むしろ、数限りない鏡によって映し出された唯一の形象というかもしれない。

   「オブジェを求めて」p106    1985年河出書房新社刊

   

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       ぽたり 土の上に

   幼いころから親しんだ童謡にも、椿の花はしばしば出てきたのではなかろうか。思
  えば、私の少年時代は、まだ日本も完全な農業国だったから、小学唱歌や童謡にも、
  農業をめぐる四季の情緒を歌ったものが圧倒的に多かった。椿はかならずしも農とは、
  結びつかないが、たとえば次のような歌はどうだろう。

      お山のお山の 尼寺に

      白い椿が咲いたとき

      ぼくぼく木魚を打つたびに

      白い椿が散ったとさ

      ふもとのふもとの水車場に

      赤い椿が咲いたとさ

      ごとごと水車のまわるたび

      赤い椿が散ったとさ


    椿の花を歌った童謡で、さらに私の気に入っていたものには、また次のような歌詞のも
   のもあった。


      ぽたり 土の上に

      小さな音が ころがり落ちた

      ぽたり また聞こえる

      雨戸あけて よくよく見れば

      ああ 椿の花


    「フローラ逍遥」p21-25    1996年平凡社ライブラリー刊
       

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        かぼちゃ  ワラフリート・ストラボー|「小庭園」

   私のかぼそいかぼちゃは育ちざかり、

   しなやかな若芽を支えてくれる支柱が大好きで、

   榛の樹を抱きしめたり添木に巻鬚でからみついたり。

   どの蔓も二つに分岐した若芽をのばすので、

   左右にそれぞれ二つの支柱を必要とする。

   まるで若い糸姫が両側から紡錘竿の糸をひっぱてるみたい。

   そうして若芽ののびる方向に沿って咲く一列の花々は、

   どうやら大きな螺線形を描くことになる。

     「オブジェを求めて」p49    1985年河出書房新社刊
  

     

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        菫

     ギリシャの花冠 

   菫のみずらの、きよらかに

   やさしく微笑ふサッポウよ、

   きみに言いたいことがあるのを、

   虔 しみの心が妨げるのだ。


   アルカイオスの四行詩だが、呉さんの筆にかかると、じつに陶冶な、じつに流麗な日本語に
  なるのは驚くばかりである。 

   中世になると、スミレは聖母マリアの花として、ますます脚光を浴びるようになる。なぜスミ
     レがとくにマリアに結びつけられたかといえば、その匂いや気品もさることながら、キリスト教
     の美徳の中でいちばん大切なものとされた謙譲をあらわしていたからだった。

   「百合」項でも書いたが、マリアは「謙譲のスミレ、純潔のユリ、そして慈愛のバラ」なのであ
  る。

   この三つの花ほど、中世の美術に頻出する花もないだろう。

    「フローラ逍遥」p37-40     1996年平凡社ライブラリー刊 

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       ナルキッソスの自家中毒

    仙人にもいろいろあって、その住むところにより天仙、地仙、人仙などと呼ばれる。 
   水仙もその一種で、水中に住んでいる仙人だと思えばよいだろう。

    仙人などというと、白い髭をはやした老人のすがたを思い浮かべるひとがいるかも
   しれないが、なに、中国の古典籍には美少年の仙人だって出てくるし、美少女の仙人
   だって出てくる。いつからか、こうして中国では水仙が花の名前になった。たぶん、水
   仙は水湿の多い土地によく育つからだろう。 

    偶然の一致というべきか、だれでも知っているギリシャ神話のナルキッソスも、みず
   からに焦がれて水中に飛びこみ、水仙の花と化した美少女だった。もしかしたら、ヘレ
   ニズム時代に東へ東へと移っていったギリシャ神話が、のちの中国の植物学者の想
   像力に影響をあたえたのかもしれない。少なくとも唐代には水仙という名前はなかった
   らしいからである。

      「フローラ逍遥」p12      1996年平凡社ライブラリー刊 


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        的礫たる花

    梅の花とくれば、ただちに的礫という形容詞が思い浮かぶ。テキレキと読む。物があざ
  やかに白く光りかがやくさまをいう。おそらく、こんなことばが反射的にあたまに思い浮か
  ぶのも、私なんぞの世代がぎりぎりの最後ではなかろうか。近ごろの若い作家の文章の
  中で、こんな漢語にお目にかかることは絶対にありえないだろう。

    しかし、鷗外、漱石、芥川などといった、漢語を愛した作家の文章を読んでいると、じつ
  にしばしば的礫ということにぶつかって、彼らがこのことばをどんなに好んでいたかを知る
  ことができる。かならずしも梅の花だけではなく、佳人の歯の白さなどを形容する場合にも
  用いられるのは、いうまでもあるまい。

    いたずらに古いことばをなつかしんでいるわけではないけれど、この的礫、私はいいこ
   とばだとおもっている。いかにも冬の日ざしを浴びて咲く、白い梅の花にふさわしいことば
   だと思っている。梅はやはり、冬の花だからこそいいのであって、寒中の凛烈さの中で咲く
   からこそ、あれほど光りかがやくのではないだろうか。あれがもし万緑の夏に咲きでもした
   ら、それこそ幻滅であろう。

     「フローラ逍遥」p28・29       1996年平凡社ライブラリー刊

 

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      オレイカルコス   プラトン「クリティアス」

   アトランティスの島の多くの地方で土から掘り出される金属オレイカルコスは、

  当時においては金をのぞいては、もっとも貴重なものであった。島の中央のアク

  ロポリスは、焰のように 燦然と輝くオレイカルコスで包まれていた。


     「オブジェを求めて」p236      1985年河出書房新社刊 

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     エオリアン・ハープ  スタール夫人|「ドイツ論」第一部

   ドイツの君主たちの壮麗な庭園では、しばしば花々にかこまれた洞窟の近く
  にエオリアン・ハープを置き、風によって音色と香りとが同時に大気中に運ばれ
  るようにしてあるのを見受ける。

   北方の住民の空想は、このようにイタリアの自然を造ろうとみずから努めてい
  るのである。そして疾く過ぎてゆく輝かしい夏の日、ひとは時として、おのれがい
  ずこの地にあるのか分からないような気分になる。

    「オブジェを求めて」p246      1985年河出書房新社刊

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         花時計

   なんと見事に巧みなる庭師は
   花や草でこの新しい時計をつくったことか。

   そこでは空から照らす柔らかな太陽が
   香りたかい十二宮をめぐりあるき、
    勤勉な蜜蜂は立麝香草をたずねて
   人間と同じように時を数える。

   かくも甘美にすこやか時間は
   草や花以外のなんで計りえようか。 
  
     アンドルー・マーヴェル|「庭」

    「オブジェを求めて」より p196   1985年河出書房新社刊

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       砂時計     ホルヘ・ルイス・ボルヘス|「砂時計」

    さかしまの円錐の 穴あけられた頂点から
    こぼれ落ちる 微細な砂粒
    黄金は徐々にすべり落ちて
    そのガラスの宇宙の凹面にあふれる

    喜びがあるのだ すり抜けて
    勢い衰えて 落ちるその瞬間に
    人間さながら あわてふためき
    渦巻く 神秘の砂を眺めることにも

    輪廻する砂はいつも同じ
    砂の歴史は無限に長い
    それゆえ おまえの幸福や苦痛のかげに
    不死身を誇る悠久の時は その姿をかくすのだ

    落下は決してやむことがない
    わたしが流すのは水ではない
    砂を移しかえる儀式には際限がない
    砂とともに わたしのたちの生も去ってゆく

     「オブジェを求めて」p194・5   河出書房新社刊 

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          日時計     リルケ|「日時計」

    しめっぽい朽葉のひんやりした匂いも
    雫がたがいに滴る音に耳を澄ましたり
    渡り鳥が鳴いていたりする庭の樹陰から
    めったに日時計にまで届いてくることはない
    マヨナラやコエンドロの花の中に
    日時計は立って 夏の時間を示している 

    ただ(召使いをしたがえた)貴婦人が
    明るい鍔広の麦藁帽子をかぶって
    そのおもてにかがみこむとき
    日時計は翳って だまってしまう

    あるいはまた夏の通り雨が
    揺れうごく高い梢のあいだから
    降りかかるとき 日時計はしばらく休む
    なぜなら日時計はそんな時間をどう表していいか知らないからだ
    白い四阿の中の果実や草花が
    急に輝き出すそんな時間

      「オブジェを求めて」p192・3   1985年河出書房新社刊 

     

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       必要にして十分

   どうか分かっていただきたい。私はげんに持っていないものは要らないのです。 

                                シャンフォール「格言集」 

     「オブジェを求めて」p46    1985年河出書房新社刊 

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     コンパス
 
  なにしろ大へん高名な学者であったから、あらゆる学者がデカルトをたずねてきた。
 多くの者が、彼の使う道具を見せてほしいといった。彼は、テーブルの下の小さな引き出し
 をあけて、片方の脚がおれているコンパスを見せるのをつねとした。定規のかわりに、二つ
 に折った紙を用いていた。

  この話は、その地(ハーグの近くのエグモント)でデカルトと親しく交わったスウェーデンの王
 妃クリスティーナの絵師アレグザンダー・クーパーから聞いた。

             ジョン・オーブリー「名士小伝」    
   
            澁澤龍彦コレクション2 「オブジェを求めて」p154河出書房新社刊

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      ともし火

  ともし火に我もむかわず燈火もわれにむかわず己がまにまに
  
                           光巌院「光厳院御製」
     
   澁澤龍彦コレクション2 「オブジェを求めて」p174河出書房新社刊 


 

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