KATZのFLEURCAFE

KATZのフルールカフェへようこそ!!フルールカフェではKATZが収集した本・CD・DVDなどを中心に気ままに展示し,皆さまのお越しをお待ちしております。ご自由にお愉しみくださいませ。よろしくお願い申し上げます。ほぼ毎日更新中でございます。

2016年01月

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  一月

 寒鮒

 玄冬中の鮒を、寒鮒という。

 このころの彼らは半ば冬眠状態であって、多くは河底 の泥の中に
 ひそんでいる。
 したがって、この時期の鮒を獲るのは、なかなかにむずかしい。
 だから、珍重されるのだ。

 だれやらの句に、

 煙草の火寒鮒釣りにもらいけり

 というのがある。

 寒鮒を細づくりの刺身にしたのも旨いが、だれでも、一度は口にした
 ことがあるのは、やはり甘露煮であろう。


 池波正太郎 「庖丁ごよみ」P4 1991年新潮社刊

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   蕪

 春から、その年いっぱい、蕪は食べられる。
 蕪の大好きな自分には、とてもうれしい。

 塩漬けの蕪は絶やしたことがないが、漬けかげんがむずかしい。
 前夜の夜、それも早目に漬けると、翌日の第一食にちょうどいい。

 健康で、空腹なときには、九州地方でいう[船頭飯]がなによりだ。
 濃目に味をつけた味噌汁で乱切りの蕪を煮くずれるまで煮て、これ
 を炊きたての御飯へかけて食べる。旨い。
 旨いが、血圧の高い人には、あまり、すすめられない。

 私が[船頭飯]をやるのは、年に数えるほどになってしまった。


  池波正太郎 「包丁ごよみ」P8 1991年新潮社刊

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  デノミ

 私は千葉県市川に住んで、虎ノ門の事務所に通って二十余年になる。
 何年か国電で、また何年か京成電車で通った。
 今は往きは電車で、帰りはタキシーで帰る。

 タキシーを利用するのは、自家用車より経済だからである。
 それに自動車の運転は、だれにでもできるとはかぎらない。
 十人にひとりは全くできない人があって、私はそのひとりである。

 「佃の渡し」があったころだから、これも十年以上前のことである。
 私は電車にあきて、船で帰ったことがある。
 新橋に近い土橋から浅草へ行く遊覧船が出ていた。
 戦前のぽんぽんせん蒸気を、戦後遊覧船にしたのである。
 夏の夕ぐれ、私はこれに乗って市川へ帰った。

 この船は築地の魚河岸、佃の渡し、浜離宮を右に見て、両国を経て
 浅草にいたる。
 遊覧バスだからガイド嬢がついていて一々説明してくれる。
 私は旅している気分になる。
 とても通勤の帰途だとは思えない。

 料金は五十円だったと記憶する。
 私は両国で降りて国電に乗りかえて市川へ帰った。(続く)

 
    「二流の愉しみ」1984年4月 講談社文庫刊
              1995年1月 中公文庫刊
       

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 この発見の悦びは、まるでなにか砂糖分が体内に長く残っている
 といった感じの悦びなのです。  「風蘭」


  岡潔「情緒と日本人」P100  2008年PHP研究所刊

            

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