KATZのFLEURCAFE

KATZのフルールカフェへようこそ!!フルールカフェではKATZが収集した本・CD・DVDなどを中心に気ままに展示し,皆さまのお越しをお待ちしております。ご自由にお愉しみくださいませ。よろしくお願い申し上げます。ほぼ毎日更新中でございます。

2015年12月

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 いざ行む雪見にころぶ所まで   笈の小文

 酒のめばいとど寐られぬ夜の雪  俳諧勧進牒

 雑水に琵琶きく軒の霰哉   ありそ海 


  「芭蕉全句集」 角川ソフィア文庫刊

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 [うさぎや]のどら焼きといえば、私が少年のころからつとめていた株式仲買人
 の主人が、月に二度ほどは、私をよんで、
 「お前さんのところの近くだから、今日は帰りに、うさぎやへ寄り、どら焼きを買
 って、明日、もって来ておくれ」
 と、たのんだものだ。

 翌日、どら焼きを持って行くと、その中から二個を半紙に包み、
 「ごくろうさん」
 と、私にくれる。

 私が、いい若い者になっても、どら焼きを買いに行かされた。
 戦争がひどくなって、砂糖などが統制されると、うさぎやも、日に何個ときめられた
 どら焼きしか売ることができなくなり、私は早朝から行列をして買いもとめ、主人の
 ところへ持って行くと、
 「ごくろうさん」
 の言葉に変わりはなかったが、その内の二個を私に分けてくれるのが、ちょっと惜
 しそうな顔つきになる主人に、私は苦笑したものだ。

 そのころはもう、甘いものをよろこぶ私でもなかったが、主人の惜しそうな顔が見た
 いので、いつも、もらってきたものだ。
 「私は甘いものなんぞ、いりませんから・・・・・・」
 といったら、主人はどんなによろこんだことだろう。

 そのころの甘味の貴重さを、現代の若者たちに語ってみても、何のことやら、さっぱり
 わかるまい。


  池波正太郎「東京のうまいもの」P26・27 1996年平凡社コロナ・ブックス刊
   
  

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   酒

 私が酔いつぶれないのは、亡き父が大酒のみで、酒のために一生を
 あやまったと信じていたからだろう。
 
 しかし、六十をこえたいまは、ただ酒のみが原因で、父が一生をあや
 まったとはおもっていない。

 ともかくも若いころから、悩み事を抱かえていたりするときは、決しての
 まない。 のんでも、うまくないからだ。
 「だから、君は、酒の真髄がわからないんだ」 
 と、大酒のみの友だちにいわれたが、私にとって、酒の真髄は、愉快に
 のむの一事につきる。


  池波正太郎「夜明けのブランデー」P88・89  1985年文藝春秋社刊

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  京都の町家は街路に直接面する上に、その接触する所に造形的にも
  機能的にも優れた木格子が使ってある(写真13)。

  この格子はイタリアの街並みのところで述べたように、内外の空間秩序
  に流動性を与え街並みを活気付けるのに重大な役割を果している。
  格子は視覚的に半鏡面のような作用をする。
  すなわち、暗い方から明るい方を見ることができるが、明るい方から暗い
  方は見えにくい。
  であるから、昼間は家の中から表の様子を感知することができるが、
  表から家の中を見ることは難しい。
  また、格子の断面の縦横比を幾分縦長にすることにより、強度的にも丈
  夫で視線を遮る方向も増加することができる。
  通常は駒返しといって、格子の見付けの寸法と間隔を等しくすることによ
  って風格のある格子の面を作ることができる。

  このように格子によって、住いと「おもて」の街路とがつながることができる
  し、一方ではプライヴァシーを保ちながら、他方では緊密なる近隣関係を
  保つことができるのである。


   芦原義信「街並みの美学」P53・54 1979年岩波書店刊
  
   

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  葱白く洗いたてたるさむさ哉    韻塞 

  葛の葉の面見せけり今朝の霜   きさらぎ

  ともかくもならでや雪のかれ尾花  北の山


  芭蕉「芭蕉全句集」 2010年角川ソフィア文庫刊 

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 寺田先生は線香花火をずいぶん研究された。
 これは鉄の火花のもつ不思議な性質の秘密に強く心を
 ひかれたためである。

 散り菊も松葉もそのある瞬間のスパーク(火花)の形を
 いい現すための名称である。


  岡潔「春風夏雨」P133 2014年角川ソフィア文庫刊 

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