2015年05月
「徒然草」きょうのひとこと
山本夏彦「オーイどこ行くの」
池波正太郎「夜明けのブランデー」
ブニュエル監督の遺作
この秋に日本で上映される、ルイス・ブニュエル監督の遺作[欲望の
あいまいな対象] は、ピエール・ルイスの小説を映画化したものだが、
全編、得体の知れないテロが頻発し、それが日常化されつつあるこ
とがわかった。
時は現代。主人公のマチュー・ファーベルは、スペインのブルジョワ紳士。
初老のマチューは、新しく雇い入れた若い女中のコンチータを一目見て、
のぼせあがってしまう。コンチータという女は、あるときは冷酷で、また、
あるときは限りなくやさしい。あるときは清純で、また、あるときは肉感的
で、なびくと見せて、容易になびかず、マチューを手古摺らせる・・・・・・
ともかくも、このように表裏がむすびつかない女の両面をキャロル・ブーケ
とアンヘラ・モリーナの両女優が演じる。
一人二役ではなく、二人一役のキャスティングだ。
はじめブニュエルは、マリア・シュナイダーにコンチータを演じさせたが、どう
しても女の両面が引き出せず、撮影を中止し、またしてもジンの盃をかたむ
けているうち、二人一役のアイデアがひらめいたという。
映画は終わりに近づき、マチューが、ようやくコンチータをわがものにしたか
と思われる一瞬後、マチューとは全く無関係なテロの爆弾に女ともども吹き飛
んでしまう。
老境に入ったブニュエルは、政治も科学のちからも信用していなかった。
科学の進歩とやらによって驕り高ぶった人間たちは、破滅の一途をたどりつつ
あると、ブニュエルはいっている。
「夜明けのブランデー」P11-14 1985年文藝春秋社刊
「オブジェを求めて」
白州正子「西国巡礼」
六波羅蜜寺 阿古屋塚
第十七番 六波羅
本堂の南側には、大きな石仏がある。その他にも、清盛の供養塔や、
石地蔵の群れが並んでいるが、中でも阿古屋の塚と伝えられる石塔
は美しい。源平の合戦に破れた悪七兵衛景清の行くえを、五条坂の
遊女阿古屋に問うが、なかなか口を割らない。ついに琴責めの拷問
に会うという話は、歌舞伎や浄瑠璃でおなじみだが、学者の説による
と、アコヤというのは、火葬をする時、棺に火をつけることを下火とい
ったところから、その場所を示す名前かも知れないということだ。が、
やわらかい中に、犯しがたい風格をもつこの塔を、私はやはり阿古屋
の墓と思いたい。ちなみに、その台石の方は、古墳時代の石棺の蓋
を利用したものとかで、それもなかなかどっしりした、いい形の石であ
る。
「西国巡礼」P115 1974年駸々堂出版刊
「春風夏雨」
池波正太郎「ドンレミイの雨」
コンピエーニュのジャンヌ・ダルク像
コンピエーニュには中世のころの古い建物が残っていて、中央広場
のジャンヌ・ダルクの像は、戦旗を左手にかがげた凛然たるもので、
「このジャンヌの像は馬に乗っていないけど、オルレアンの銅像より
もいいね」
「そうですね。私はコンピエーニュの良き友を見守りつづけると、台座
に彫ってあります」
「この前と今年と、期せずしてジャンヌの遺跡をずいぶんと見たね。」
「ほんとに、そうでした」
少女の戦将ジャンヌ・ダルクは、一四三〇年五月二十三日に、コンピエ
ーニュの城から出撃し、城を包囲していたブルゴーニュ軍と戦った。
夕暮れどきまでに、ジャンヌは兵をひきいて三度、出撃をしたというが、
最後の出撃のとき、敵の大軍に押しくずされ、退却した。ジャンヌは自ら
殿りをつとめた。
ところが、先に城門内へ逃げ込んだ味方は、ジャンヌを残して城門を閉じ
てしまったものだから、ついにジャンヌは敵の手に捕らえられてしまったの
である。
ジャンヌは、翌年の五月二十四日に、ルーアンで火刑台に乗せられ、炎
の中に息絶えた。
「ドンレミイの雨」P65・66 1983年朝日新聞社刊
芭蕉きょうの一句
「オブジェを求めて」
今週見た映画「ノン、あるいは支配の空しい栄光」
「フローラ逍遥」牡丹[ぼたん]Paeonia
花妖のエロティシズム
牡丹切て気のおとろひし夕かな
この蕪村の句にはべつにエロティックな意味はないだろうが、「聊斎志異」
に出てくる花妖の物語なんぞを読むと、なにか官能的なニュアンスをそこ
に付会したくなってくる。そんなあやしい感じの句だ。そういえば、これも名
高い蕪村の句、
ちりて後おもかげにたつぼたん哉
これは花の幽霊となって詩人の前にあらわれた花妖そっくりではないだろう
か。唐突だが、私はこの句を思うたびに、現代フランスの詩人シュペルヴィ
エルの次の詩をつい連想してしまう。
昼も小暗い森の奥の
大木を伐り倒す。
横たわる幹のかたわら
垂直な空虚が
円柱のかたちに残り
わなないて立つ。
すでに花そのもの、樹そのものは存在していないのに、その視覚的イメージ
だけが幽霊のような存在感とともに、そこに執拗に残存していた。網膜に焼
き付いている。さすがにシュペルヴィエルは南米の大森林を知っているだけ
に、その詩的イメージの規模も桁ちがいに大きいが、この「わなないて立つ
円柱のかたち」と蕪村の「おもがけにたつぼたん」とは、本質的に同じ一種の
残像のようなものではないだろうか。
「フローラ逍遥」P85-89 1996年平凡社ライブラリー刊
最近見た映画「神曲」
岡潔きょうのひとこと17
最近見た映画「メフィストの誘い」
芭蕉きょうの一句
Manoel de Oliveira「Francisca」
Francisca (Manoel de Oliveira, 1981)
最近見た映画「クレーブの奥方」
「近江山河抄」
崇福寺跡 礎石
大津京跡 礎石
崇福寺跡出土 舎利容器
大津の京
崇福寺の跡は、そこから木立にかこまれた急坂を登ったところ、
南北の峰にわたって見出される。その塔跡の心礎 から、あの美
しい舎利容器は発見された。深い湖の色をたたえたガラスの小壺
は、仏器というより、造媛か額田王の化粧道具のようで、白鳳の
粋はこのささやかな壺に極まったかに見える。中には小さな水晶
の玉が二つ(これが仏舎利を現わしているいるのだが)、それを
おさめた容器は、黄金の請花に安置され、はじめは、金の小箱に、
次は銀の中箱に、さらに金銅の上箱に入っていた。
後世、茶人がいく重もの箱に大切な道具を入れた、その原型を見る
思いがする。こういうことは、外国にはない風習で、もとは信仰から
出たことがわかるとともに、ものに対する日本人の、特殊な感覚を
現している。
「近江山河抄」P76・77 1974年駸々堂刊
「フローラ逍遥」アイリス Iris
アイリス
いずれアヤメかカキツバタ
私は自分が五月生まれのせいか、風薫る五月の季節が大好きである。
ほととぎす鳴くやさ月のあやめぐさ あやめもしらぬ恋もするかな
毎年、五月の二十日すぎになると、私の住んでいる北鎌倉でも、決まっ
てホトトギスの声を耳にする。明け方ばかりでなく、どうかすると雨もよい
の日なんか、あさから一日中、しきりに鳴くことがある。
厳密にいえば、上代の日本人がアヤメと呼んだのは、今日のショウブの
ことで、アヤメ科のアヤメのことではないらしいが、ともかく,こんなすばら
しい歌に詠まれているのだから、アヤメを代表とする日本のアイリスの一
種 はしあわせだとつくづく思う。
もう一つ、どうしても私がここに書いておきたい詩の一節がある。昭和十一
年からはじまったラジオの国民歌謡で、少年の日の私がしばしば耳にした、
なつかしい木下杢太郎の「むかしの仲間」の一節である。これも五月である。
春になれば、草の雨、三月桜、四月すかんぽの花のくれなゐ、また五月
には杜若、花とりどり、人ちりじりののながめ。
「フローラ逍遥」P76・77 1996年平凡社ライブラリー刊
野々すみ花「野に咲く花のように」
野々すみ花「野に咲く花のように」
「包丁ごよみ」
岡潔きょうのひとこと16
芭蕉きょうの一句
「フローラ逍遥」金雀児[えにしだ]
金雀児 [えにしだ] Cytisus
野原を埋める黄金色
それほど何度もヨーロッパへ行ったわけではないけれども、行くたびに
関心させられのは、初夏のころのフランスやイタリアの野原の美しさだ。
エニシダの黄金色が野原をいちめんに埋めつくして、波のように揺れて
いる。レンギョウの黄よりもさらに明るく、濃密な感じのする黄金色である。
なるほど、これでは伝説が語っているように、アンジュー伯ジョフロワが
エニシダの咲きみだれた野原を進軍しているとき、その花の一房を手折
って兜に挿したくなったというのも無理はないな、という気がしてくる。
「フローラ逍遥」P52 平凡社ライブラリー刊
澁澤龍彦(1928年5月8日ー1987年8月5日)
Manoel de Oliveira「O Principio da Incerteza」
「フローラ逍遥」ライラック
Wim Wenders「Lisbon Story」
Vim Venders「Lisbon Story1994」
池波正太郎「包丁ごよみ」
五月
筍
京都の南郊、乙訓は、見事な竹藪で有名だ。
その乙訓の長岡天神の池畔に[錦水亭]という、筍料理専門の料理
専門 の料理屋があって、むかしは、食べさせるだけではなく、泊め
てもくれた。
池のほとりに、大小の離れ家がたちならび、ここに泊まると、別世界
へ来たおもいがした。掘りたての筍を、吸い物、炊き合わせ、刺身、
木ノ芽和え、でんがく、天麩羅、すべて筍 料理だが、その旨いことは、
私の友人の言葉ではないが、
「おはなしにならない」
のであった。掘りたての筍が、こんなに、やわらくて旨いものだと知っ
たのは、むかし、錦水亭へ泊ってからだ。
いまも私は、筍が大好きだ。
「包丁ごよみ」P36 1991年新潮社刊
Manoel de Oliveira「Party」
Party (1996) Manoel de Oliveira
「徒然草」きょうのひとこと
幼年時の問い 第ニ四三段(終段)
八つになりし年、父に問ひていわく、「仏はいかなるものにか候ふらん」
といふ。父がいはく、「仏は人の成りたるなり」と。また問ふ、「人は何とし
て仏には成り候ふやらん」と。父また、「仏の教へによりて成るなり」と答
ふ 。また問ふ、「教へ候ひける仏をば、なにが教へ候ひける」と。また答
ふ、「それもまた、さきの仏の教へによりて成り給ふなり」と。また問ふ、
「その教へはじめ候ひける第一の仏は、いかなる仏にか候ひける」という
時、父、「空よりや降りたりけん、土よりや湧きけん、土よりや湧きけん」と
言ひて笑ふ。
「問ひつめられて、え答へずなり侍りつ」と、諸人に語りて興じき。
八歳になった年、父に尋ねたのは、「仏はどういうものでありますのでしょう
か」ということだった。父が答えるには、「仏は人が修行して成ったものだ」と。
また尋ねて、「人はどうやって仏になるのでしょう」と。父がまた、「 仏の教え
によって成るのだ」と答えた。また尋ねて、「教えてくださった仏を、何が教え
ましたのですか」と。また答えて、「それもまた、それ以前の仏の教えによって
お成りなさったのだ」と。また尋ねて、「その教え始めなさった第一の仏は、ど
のような 仏でありましたのでしょうか」と言った時、父は「空より降ったのだろ
うか、土より湧き出たのだろうか」と言って笑った。
そののち父は、「問い詰められて、答えられなくなってしまいました」と、人々に
語って愉快がっていた。
「徒然草・方丈記」P288・289 ちくま文庫刊